2024 年 11 月に参加したイベント報告 ~ イベント3ヵ所、FOSS4G Japan 2024 in 専修大学 ~
(本記事は、History Tech Advent Calendar 2024の11日目の参加記事です。)
11月
『史料で見る上州の冠婚葬祭』(群馬県立文書館: 前橋市)
2024年11月2日、群馬県立文書館で開催された、民俗学者の板橋春夫先生による「史料で見る上州の冠婚葬祭」講演に参加しました。この講演会は、文書館が主催する「令和6年度ぐんま史料講座」の一環として開催されたものです。私にとって初めての文書館訪問となりました。申し込みを忘れていたにもかかわらず、飛び込みでの参加を許可していただき大変感謝しています。
講演では、上州における冠婚葬祭の歴史的変遷に焦点が当てられました。特に興味深かったのは、日本人の人生イベントに対する観念や死生観の変化に関する考察です。一族の輪廻的な円環の死生観から、個々人の直線的な死生観へ変化をしたという指摘は、初めて接したパラダイムで、とても興味深く感じました。
また講演会では、貴重な史料の実物大コピーの配布資料が多数提供されました。「七夜祝い」に関する史料、「疱瘡之祝」の記録、結婚に関する記録(結納、婚礼目録、婚姻届など)、葬送に関する記録(葬列順序書など)、先祖祭祀に関する記録など、これらの史料は講演内容の理解を深めるだけでなく、当時の人々の生活や文化を垣間見る上で非常に貴重でした。
講演後には、文書館の常設保存している史料を実物やビューアなどで拝見する機会もいただきました。たとえば群馬県の壬申地券地引絵図は、各町の当時の生き生きとした様子や土地所有者などの貴重な情報が記録されているのが特徴、と以前から聞いていたので見てみました。しかし私のメインフィールドである邑楽、館林地域の地引絵図はあまり詳細ではなく、聞いていたのと違うなと少し残念でした。これについては後日、その理由が東毛地域がかつて栃木県に属していたため、群馬県基準での地引図が作成されなかったためだと知りました。前橋、高崎、草津温泉、玉村などの地域の地引図はより詳細で興味深いそうなので、今後改めて調査したいと思います。
また以前の邑楽館林のシベ地名研究の中で、小字の場所が近代以降整理されて場所が変わったのではないかと指摘したことがありましたが、今回の調査では群馬県の別の地域で、行政に要請を出して小字の範囲を更新した記録公文書を見つけることができました。これについても、後日さらに詳しく調査する予定です。
『ぐんまの民俗芸能in県立女子大 vol.3 ~獅子舞~』(群馬県立女子大学: 玉村町)
2024年11月9日、群馬県立女子大学で開催された「ぐんまの民俗芸能in県立女子大 vol.3 ~獅子舞~」に参加してきました。このイベントシリーズは群馬県内の多様な民俗芸能に触れることができる貴重な機会で、私は第1回から連続で参加してきました。
今回のテーマは、迫力満点の「獅子舞」。といっても、群馬県独特の獅子舞のスタイルは、一般的にイメージする獅子舞とは少し違うようです。普通に想像する獅子舞では、複数人で一匹の獅子を表現することが多いのに対し、群馬では一人が一匹の獅子を表現するスタイルです。さらに1匹や2匹の例外もあるようですが多くの場合、3匹一組(3人)で舞うというスタイルがとられるそうです。これは群馬県や、その周辺の埼玉などの一部での独自文化だということで、背景には地域ごとの歴史や風土、信仰が深く関わっているのかもしれません。
獅子舞の開始前には、棒術などの演武で場を清めるのが一般的だそうです。また、獅子の腰には鞨鼓を付けて叩きながら舞うことが多く、獅子舞の勇壮さを鞨鼓のリズムがさらに引き立てます。この基本パターンは、私が調査フィールドにしている邑楽館林地域の無形文化財で、以前拝見の機会があった「上三林のささら」でも、同じものが踏襲されていました。
今回のイベントで披露されたのは、伊勢崎市の千本木神社氏子地域の、千本木龍頭神舞というグループの演舞で、この地域の獅子舞はとにかくダイナミックな動きが特徴でした。獅子が激しく飛び跳ねるたびに、頭につけている紙製のかつらのようなもの(トブサというそうです)が破れ、大量に舞い落ちていました。この舞い落ちたトブサを拾って帰り、家の玄関に飾ると厄払いになるそうで、実際の祭礼では子供たちが競って集めあうそうです。今回の公演でも私も含め、多くの参加者が持ち帰っていました。
獅子舞を見ているうちに、ふと京都や津和野の祇園祭で演じられる鷺舞との関連性を感じました。鷺舞も、最初の場の清めに棒振りの演舞があり、棒振りは頭にトブサのような赤熊をつけています。その後は、鷺とともに鞨鼓を付けて舞う稚児が登場します。これらの要素の類似性から、もしかするとなにか共通するルーツがあるのかなと感じたりもしました。ただし、それが両者をつなぐ直接的なものなのか、散楽などに起源を持つ日本芸能一般としての関わり合いなのかは、よくわかりません。
FOSS4G 2024 Japan コアデイ(専修大学 生田キャンパス)
11月10日に専修大学で開催されたFOSS4G 2024 Japan コアデイに参加しました。今回の発表では、これまでのCode for Historyではなく、MT-Planning様と共同で設立したPlatsプロジェクト名義でMaplatについて発表しました。 発表の主眼は、Maplatが単なる標準UIとしてではなく、システムの一部機能としても活用できるという点 の紹介でした。
たとえば、以下のような事例を紹介しました。
- 標準的なUIでの利用: 山形アーカイブ - Maplatの標準UIをそのまま利用した事例です。
- 標準UIをベースにUIデザインをカスタマイズ: ひがしなりまち歩きマップ - Maplatの標準UIをベースに、UIデザインを独自のものに変更した事例です。
- 機能だけをMaplatで実現、UIは独自開発: みたか温故知新マップ - 地図操作や描画はMaplatに任せつつ、UIは独自にデザインした事例です。
- 計算の仕組みだけMaplatで実現、全体の機能は自己開発: のってみりん - 経緯度と絵地図座標の変換のみにMaplatを活用した事例です。
続いて、みたか温故知新マップを制作したMT-Planning社の方に、Maplatを採用した狙いと、それによって展開できるビジネスの可能性についてお話いただきました。この発表を通して、MaplatをSIし、新しい仕組みを提供できる可能性 を感じていただけたならば幸いです。
- 絵地図を扱うFOSS4G Maplatの利用形態と採用事例のご紹介 - YouTube
- 絵地図を扱うFOSS4G Maplatの利用形態と採用事例のご紹介 - Speakerdeck
また今回のFOSS4Gでは、多くの刺激的な発表をうかがえました。いくつか特に印象に残った発表をピックアップしてご紹介します
- Overture Maps Foundationを読み解く - 何を目的として、どこに向かっていくか?
- ハザードマップゲームの作り方〜ハザード情報をゲームのパラメーターに落とし込む〜
- 地理情報をデータベースに格納しよう~GPUを活用した爆速データベースPG-Stromの紹介〜
- 江戸ビッグデータのオープン化:「れきちず」を活用した歴史的地理情報基盤に向けて
- chiitilerによるサーバーレスなラスタータイルサーバー運用
- 地理情報をデータベースに格納しよう~GPUを活用した爆速データベースPG-Stromの紹介〜
『高畑の歴史と風土を語る集い第3回』(日本基督教団奈良高畑教会: 奈良市)
こちらも続けて参加している、奈良の高畑町地域の歴史を語るイベントの第3回に、2024年11月17日参加してきました。今回のテーマは「閼伽井庵と吉備塚」。 閼伽井庵の住職である森田康友住職と、郷土史家の大槻旭彦先生のお話を中心に進められました。
まず森田住職から、閼伽井庵の伝承や由緒にまつわる興味深いお話がありました。 閼伽井庵の寺伝では、開基は聖武天皇の眼病の際、閼伽井の水を汲み供えると治るとされたという伝承に遡るそうです。また、吉備真備の塚伝承がある吉備塚を供養する寺としての役割や、安政地震で崩壊した閼伽井庵を尼僧が私財を投じて購入し、再建した話も聞くことができました。
また閼伽井庵には、楠正成が祀ったとされる鎮宅霊符神像が秘仏として安置されており、普段は見られませんが、家内の災厄を祓う神としての力に期待して、コロナ禍の間に一度、疫病退散を祈願して特別に開扉されたこともあったそうです。
さらに来年令和7年には、吉備真備の没後1250回忌を迎えることから、遠忌供養として吉備塚などを巡る法要が予定されており、今年はその予行演習も行われたとのことです。
続いて、大槻先生による歴史的な説明がありました。伝承は伝承であって、必ずしも歴史的事実ではないですが、大槻先生からは閼伽井庵や吉備塚にまつわる歴史の解説をいただきました。
たとえば、 閼伽井庵のある新薬師寺周辺には、眼病にまつわる伝承が多く残っています。これは、新薬師寺の本尊のまなざしが非常に特徴的であることが理由の一つとして考えられるそうです。しかし、 新薬師寺の本尊は奈良時代のものではありませんし、眼病の話は史実の記録には見られないため、あくまで後世に作られた伝承であろうと指摘されました。
また 吉備塚についても、その成立年代から考えて、吉備真備の墓であるとは考えにくいとのことでした。しかし、吉備真備の墓として長年伝承されてきたという信仰的背景も踏まえ、閼伽井庵での法要は吉備塚で行われるそうです。
今回の集いからは、これまでの講師と聴衆という形式ではなく、円卓のように座り誰でも自由に話せる寄合形式が採用されました。これにより、参加者それぞれが持つ知識や情報を共有し、自由に意見交換をすることができました。様々な人がそれぞれの視点から語り合うことで、より深く高畑の歴史や風土を理解することができたと感じています。