山形市 ななはく!2024ソーレに参加しました

事例紹介でも掲載しましたとおり、Code for Hisoryは、古地図アプリMaplatで山形大学の「山形アーカイブ」に協力しています。
その山形アーカイブなどを手掛けている山形の『まちの記憶を残し隊』の人達が毎年2月、9月に開催している、山形市七日町の歴史をたどるイベント「ななはく!」が、この2月も16日から18日の3日間、「ななはく!2024ソーレ」として開催されましたので、訪ねてきました!

昨年の2月は雪国としての山形を見られたのですが、今年は暖冬だからか雪は全くありません。
昨年驚愕した雪が見られなくて残念と思ったものの、実際3日間いますと、とても便利な別のポートに乗り捨て可能なレンタサイクルのおかげで、数km先の郊外まで訪ねて行けたりと、雪があればとても無理な旅が経験できました。

ななはく展示

中央公民館

山形市の近代史、花柳界史、コロナを乗り切る街のオーラルヒストリーなど、学生さんが調べ聞き取り紡いだ町の歴史がパネル展示されており、何かコンサートか講演会の帰りのお客さんに恵まれたこともあったらしく、非常に多くのお客さんが訪れ、盛り上がっていました。
特に今回は、前回までは壁パネルだった古地図が、A0くらいにまで引き延ばされて床展示にされており、以前だと細かいところまで見にくかったため、ふーんと眺めるだけだったかもしれないお客さんが、座り込んで細部をじっくり確認し、地図の間を渡り歩いて比較するような人も多かったように思います(私自身がそうでした)。
また、各地図にはQRコードが添えられて、興味のある地図は手元のスマホでさらに拡大して見られたり、オットセイのブロニー君のお墓がARで見られたりと、ネット技術ともうまく連携できた面白い展示が行われていました。

最上時代山形城下絵図
最上時代山形城下絵図

羽州山形城下絵図
羽州山形城下絵図

ブロニー君の墓AR
ブロニー君の墓AR

十一屋二階

歴史あり地域に親しまれているお菓子屋さん、十一屋さんの2階で、今年の特集である山形五堰の調査展示。
御殿堰の再開発を主導された結城さんのオーラルヒストリーを拝見して、既にある歴史も大事ですが、ただ単に歴史を集めて自分たちはそれから切り離された鑑賞者のような視点ではなくて、ここから自分たちが紡ぐものもこれからの歴史なのだ、という観点が持てる人と、そういう人に恵まれた町は強いなと感じました。
五堰の見どころマップは、まさにこのようなかんがい水路の見どころ表示システムを、佐倉の国立歴史民俗博物館の特別展示に納入したことがあるので(その後、益田市立歴史文化交流館「れきしーな」に移設、近々Web公開予定)、それを流用して山形五堰もうまく見せられるシステムが作ってみたいですね。

結城さんオーラルヒストリー
結城さんオーラルヒストリー

御殿堰再開発の歴史写真
御殿堰再開発の歴史写真

山形五堰見どころマップ
山形五堰見どころマップ

ななはく口頭発表等

まちの記録を残し隊発表

山形大学の学生さんたちによる、まちの記録を残し隊としての発表が、2月17日、午前はプレゼン形式、午後は参加者交えての討論形式で行われました。

  • 山形市の町屋と蔵
    山形市は蔵の多い街とのこと、実際素敵な蔵はたくさん見ましたが、マッピングされたものを見て、私が興味を持って調べている奈良の地蔵、群馬の庚申や月待塔、馬頭観音と同じレベルで濃密な分布があるのに驚きました。
    これはまさに街の顔、悉皆調査されるべき対象です。
    蔵に関する知識の説明も、雪国ならではの掘り下げもあり私は知らないことも多くて興味深く、また個々の対象のオーラルヒストリーを押さえているところも素晴らしく、私のフィールドワークはオーラルヒストリーの収集が弱いので頑張らなければと刺激を受けました。
  • 嘉一ボックス成果発表
    恥ずかしながら、この発表を聞くまでなぜ山形がオットセイのブロニー君話題で盛り上がっているのか経緯を理解していませんでした。
    郷土史家後藤嘉一さんも知りませんでしたし、なんなら大王の事も知りませんでした…。
    奈良の喜多野徳俊さん、邑楽館林の川島維知さんのように、地域の郷土史を拓いた人はそれぞれおられるのですね。
    さっそく古本屋で後藤嘉一さんの出版物を購入し、山形県立図書館にリファレンスをかけました。
    後藤嘉一さんが後世に託した嘉一ボックス、その中に入っていた歴史的日常の遺物としての価値を考えるにつけ、私はあちこちに行くたびにチラシなどを蒐集しては、整理できずに部屋がごみ屋敷のようになってきたので、最近は集めたものをスキャンだけしてできるだけ捨てるように方針を改めてきたのですが、やっぱり残したほうがいいのかなと心が揺らいできています。
    まあ、私は有名にならないのでいいか。
  • 料亭、花柳界のオーラルヒストリー研究
    続く2つの発表は、4年生による卒論発表でした。
    料亭、花柳界をテーマとして、これまではあまり手法とされなかったらしい?オーラルヒストリーをベースとした研究です。
    料亭が町で暮らす人々にとって、どのような非日常を提供する特別な場であったか、また、花柳界の衰退は一般的にイメージしそうなキャバレーなどの台頭によるものではなく、むしろもう少し下った時代のカラオケの登場や官官接待の廃止によるものだという発見が、オーラルヒストリーと文献調査を交えて丁寧に解き明かされていました。
  • 七日町の変遷
    午後の参加者交えての討論形式の発表では、まず七日町の変遷のセッションに参加しました。
    地元の年配の方お2人を交えてのセッションになりましたが、最近山形に来始めた私はもちろん、記憶に残し隊も活動を始めた頃にはなくなっていたという、山形県県民会館を懐かしむ話題を聞かせていただいたり、今は入手が難しいらしい、山形五堰の美麗な鳥観図パンフレットをお持ちの方に見せていただいたり、いろいろ興味深い話が聞けました。
  • 笹堰の変遷
    五堰の中で一番広い領域の笹堰歴史について、調査と現在の活動について伺いました。
    近代農業用水としての役割を終えた笹堰が、親水空間としての再整備、その後の管理の衰退と現在の再整備の状況まで報告してもらいました。
    地域の年配の方も一緒のセッションにおられたので、あの時はその通りそうだった、いやあの時はまだ梅花藻は見られたなど、いろいろな話も聞けました。
    平成期の整備を評価しながらも、話を聞いていると、その後雑草がはびこるようになったのは、そのころに整備された河床の石ではないのか?と思っていたところ、学生さんたちもまさにそう分析されていたりと、いろいろ考えておられるなあ、というのを感じました。

山形市の町屋と蔵
山形市の町屋と蔵

嘉一ボックス成果発表
嘉一ボックス成果発表

戦後山形における料亭の機能について
戦後山形における料亭の機能について

戦後の山形花柳界の実態について
戦後の山形花柳界の実態について

七日町の変遷
七日町の変遷

笹堰の変遷
笹堰の変遷

ななはく寄席

2月18日午前中は、山形の地元落語家さんたちによる、講談と落語の寄席を拝見しました。
講談『時を流れる山形五堰』は女子大生落語家の宝笑亭熊水さん、とても臨場感があって、最上家の下りなどは最上義光の一代記を聞いてるようで、話が鳥居忠政に移った時、あれ?最上さんどこ行った?あ、そういや視点山形だった、と思ってしまいました。
落語は女性落語家の宝笑亭卯さ銀さんの『手水廻し』と、熊水さん再登壇の『水屋の富』。
手水廻しは舞台をうまく移して山形にして、きれいな山形弁を披露してくれてとてもほっこりしました。
どちらもとても笑わせてもらいました!

宝笑亭卯さ銀さん
宝笑亭卯さ銀さん

宝笑亭熊水さん
宝笑亭熊水さん

まちの記憶を聞く会

2月18日午後は、山形五堰の管理に長年関わられたという佐藤章夫さんに聞く、山形五堰の歴史と魅力の話でした。
残念ながら、十一屋の2階は満席になったので、私は中央公民館での遠隔中継で聴講しました。
水を堰き止めるという言葉が山形ではそのまま水路の呼び名になった話、また明治になり異なる藩だった村々が一つの自治体になった際の苦労など、興味深い話を多く聞くことができました。

佐藤章夫さん
佐藤章夫さん

まちの記憶を聞く会会場
まちの記憶を聞く会会場

その他の山形訪問記

ななはくの各イベントをとても楽しませてもらいましたが、その合間に山形のあちこちも楽しませてもらいました。
以前から聞いていながら、伺えていなかった乃し梅本舗 佐藤屋や元済生館病院の山形市郷土館も訪ねられたし、大きな神社である鳥海月山両所宮諏訪神社も訪問できました。

乃し梅本舗 佐藤屋
乃し梅本舗 佐藤屋

山形市郷土館(旧済生館本館)
山形市郷土館(旧済生館本館)

鳥海月山両所宮随神門
鳥海月山両所宮随神門

諏訪神社
諏訪神社

また、Code for Historyと協力関係にある石仏情報学会みんなで石仏調査に協力するために、山形市内の庚申塔や月待塔、出羽三山塔などを探してきました。
市街の中にはさすがにほとんどないので、北は銅町や宮町、西は上椹沢や下椹沢、南は小荷駄町あたりまで回って探してきました。

肴町 御組の庚申堂、大黒天、青面金剛
肴町 御組の庚申堂、大黒天、青面金剛

上椹沢石塔群、十八夜、大黒天、庚申塔、石灯篭、青面金剛
上椹沢石塔群、十八夜、大黒天、庚申塔、石灯篭、青面金剛

東原町子安観音堂石塔群、甲子待塔、三界万霊塔ほか
東原町子安観音堂石塔群、甲子待塔、三界万霊塔ほか

椹沢方面の道すがらでは、目の前に大きな雪山を目にすることができました。
雄大な山だなーとみていましたが、よくよく考えると出羽三山では?と思って調べると、やはり月山、湯殿山でした。
上でも書いた通り、素人ながら各地の出羽三山信仰塔調査をしてきた身として、初めて本物の出羽三山を見たのは感動!
東に目を転じれば至近の瀧山、雁戸山の雄姿も、距離が近い分迫ってきます。
さすが盆地、どちらを見ても山、山です。

初めての出羽三山(月山、湯殿山)
初めての出羽三山(月山、湯殿山)

東方の山々、瀧山、雁戸山など
東方の山々、瀧山、雁戸山など

Code for Historyの独自の活動としては、古地図の中に残っている史跡が現在も残っているかどうかを確かめてきました。
山形城外堀北付近の錦町の庚申堂や神明神社、南方の三日町聖徳寺(旧太子堂)、東原町子安観音堂、小荷駄町青面金剛(旧庚申)などが現存しているのを確認してきました。

錦町付近、庚申堂と明神(現神明神社)現存
錦町付近、庚申堂と明神(現神明神社)現存

錦町庚申堂
錦町庚申堂

小荷駄町付近、太子堂(現聖徳寺)、庚申(現青面金剛尊)、子安堂現存
小荷駄町付近、太子堂(現聖徳寺)、庚申(現青面金剛尊)、子安堂現存

三日町聖徳寺
三日町聖徳寺

東原町子安観音堂
東原町子安観音堂

山形市上椹沢稲荷神社の夕べ
山形市上椹沢稲荷神社の夕べ